LIFE&SEEDが
大切にしている想い

組織開発や人材開発、コーチングトレーナーの育成を手掛けるLIFE&SEED代表の中野美加が、活動を行う上で大切にしている想いや価値観をエッセイのようにまとめました。

共感いただける経営者の方やリーダーの方、コーチングを学ぼうとされている方と、成長の道を一緒に歩ませていただきたいと考えています。

時代に求められるリーダーを考える

今まで、数多くの経営者の方や、リーダーの育成に携わってきました。
また自身も「リーダー」について研究することが好きなこともあって、歴史上の偉人や世界を変えたリーダーなど、多くのリーダーを研究してきました。

リーダー像については、講演やセミナーでもよくお話するテーマです。リーダーは時代背景において違いがあるように思いますが、一方で普遍的な姿があります。この普遍的なリーダー像にこそ、時代を生き抜くヒントがあると私は考えています。

例えばどんな時代においても名将は、恐れの力を使うのではなく、フィロソフィーを持ちながらも、1000人の兵で1万の兵を倒せるような全体の力を発揮できています。すなわちエンパワメントしていたと考えられます。

この普遍性はリーダー自身のエンパワメントと、他人がエンパワメントになることを支援できることだと思います。

内面的な本質として変わらぬものがある一方、時代による変化にいち早く対応できる柔軟性を持って自分をアジャストしていけること。そう考えると、リーダーの本質とは、内面的な成熟にあるのではないかと、私には思えます。

では、内面的な成熟とは?

人間を知り、自分を知り、知性のみならず、感情とうまく付き合えること。
マインドやスピリットの面で人を理解し、違いではなく共通点を見出すこと。
反発心や競争心、罪悪感や恐れなどから反応的に出すフォースではなく、内在する自然に備わっている力。
クリアなパワーをオーセンティックに顕すことができること。
などがあげられます。

これからの時代には、正直な方がリーダーにはふさわしいと感じています。馬鹿正直という意味ではありません。全方位からみて嘘がない方が、結果的には自らの自己信頼を傷つけず、クリアな状態でいることができるため、自分を含めたどのような人とも安心と信頼を持って関わることができるからです。

また組織の中でメンバーと対等性を保つこと。役割・役職としては、上役の任務を果たすものの、人として対等であり、そこから滲み出る相手を尊重した関わり方が、日常で顕れる状況を作ること。リーダー自身が自らも切れば血を流す人間であるというあたりまえのことを、相手と共有することなども対等性につながるのだと思います。

リーダーシップについて

この10年ほどですが、欧米では「フェミニンリーダーシップ」が非常に注目されるようになりました。女性性を用いたリーダーシップです。

性別とは異なる「男性性」「女性性」への理解が必要ですが、たとえば「男性性」は集約するエネルギー、理論的に問題解決を行い、言語化し、何かをすることで勝ち取っていく瞬発力の高い強さで、狩猟民族的なスタイルがイメージしやすいかと思います。

反対に「女性性」はフワッと拡散するエネルギー、感性や細やかなことも含めて感覚的です。来るものを受け入れるおおらかさで、子を授かり産む痛みを乗り越え、育んでいく強さで、受容性に優れています。どっしりと大地に根付いた農耕民族的なスタイル。

「父なる空、母なる大地」といわれるのも、このようなことからかもしれません。女性性がクローズアップされる時代に変化しているのは、社会が成熟してきた証かもしれません。

女性性を用いたリーダーシップの延長として切り離せないのは、「感情と付き合うことができる」ことです。

EQといわれる分野がビジネス界にも大切だといわれ始めて久しいですが、まだまだ発展途上に思えます。感情を扱うことは、男性性を強く用いてきたこれまでのリーダーシップでは、もっとも難しいことの一つかもしれません。

理性知性であれば、どんどん吸収し、優秀さを顕すことができて“カッコいい”ですが、感情とは喜怒哀楽、前向きでポジティブなことばかりではなく、むしろ後ろ向きでネガティブなことも多いです。

そこで、多くのリーダーたちは感情を感じない、またはポジティブな感情だけに目を向けることになりがちです。けれども、これは抑圧となり逆効果です。

自分の悲しみを受け入れると、人の悲しみにも共感ができます。幸か不幸か、人間の幸せを感じるパイプと、悲しみを感じるパイプは同じです。悲しみを封じると、本当の喜びも感じられない。これからの時代は、表面的な楽しさなどより、本物の喜びに人々は集まってくるでしょう。

そのとき、どのような感情も扱うことができ、人と繋がることができることが、もっとも求められるようになると思います。

一方、日本の社会では、形が先行している気がします。SDGsが社会のメインストリームとなってきたこと・ジェンダー問題(役員の女性の少比率・大学の男子優先疑惑など)において先進諸外国に比べ著しく遅れていることなどから、「すべき」こととしてとらえられているような印象があります。見えない圧力からの外的な行為からある意味、女性活躍が「形」として優先されている日本においては、本来の意味での「女性性の活用」という内的な意味合いに理解が示されるようになるまで、もう少し時間がかかるような気がします。

女性のエンパワメントについて

以前は、女性の仕事が、男性と違うこは「差別ではなく、区別」とされ、「女性が社会進出できないのは仕方がない」とされていました。そして、その中で働き続け、頭角を表すには「自分の女性性を抑圧し、男性と同じか、それ以上の男性性を発揮して認められるしかない」とされた時代がありました。反対に、女性の性(女性性ではありません)を利用して、男性社会でうまくポジションを手に入れることに力を入れるという裏技のイメージもありました。

一方で男性もまた、男性社会と言われる世の中で、傷ついてきました。「男なんだから!」「男のくせに!」は、すでに虐待と位置付けされています。

そういった意味では、男性は女性のエンパワメントによって、より楽に、より広い選択肢を持ち、ライフワークバランスが取れた人生を送ることができるようになります。そして、自らのリーダーシップに、女性性のパワーを取り入れることで、柔軟で、受容性をプラクティスしていくこともできます。

これからは女性が女性であるというそのままを素直に出して、活躍していけるはずです。今まで、女性はライフステージや女性特有の健康課題に対しても、我慢強く向き合ってきました。それらを我慢することなく、クオリティオブライフを下げることなく活躍できる社会は近いはずです。そう、女性はもう、守られる存在でなくていいのです。

そのためにも、女性は年齢に臆することなく、もっと内から光を発揮してほしい。遠慮なく輝いてほしいと思っています。それが女性のエンパワメントの実現につながると考えています。

組織の本質を考える

企業、団体、学校など、組織は中長期にわたって運命共同体です。とくに企業においては、組織のトップの方の意識レベルが、その組織の天井だと思っています。

組織が継続的に機能するだけでなく、どのような変化の中にいても成長し続けていくためには、リーダー自身が成長し続けることが必要です。

特にその中でも、自分自身を省みて、調整を加えたり、自分自身についての発見をし、統合を進めることは重要です。そう、新しいことを取り入れるだけではなく、力をどうしても出し切れない理由を断定し、場合によっては内的な癒しも必要になります。

誰にでも自己欺瞞や保身、変化を嫌うことはあります。変化を恐れて、自分の課題を見ようとしないことは、人の課題も見えてきません。そのままの姿の自分を認められるようになると、他者も認められるようになります。これは人間の課題だと思います。

組織の成長が思うように進まないときや、次々と問題が起こるような場合、まず第一にしたいことはリーダー自身に課題があるのではないか、と省みることです。他者のことはわかっても、自分のことは最後までわからないのも人間の特性です。批判されたり、課題を指摘されたりすると、さらに防衛的になり、頑なになってしまうこともあるかもしれません。しかし、そこが正念場です。

物事は起こるべくして起こっています。ピンチの時はチャンスの時です。そのチャンスを生かすためには、リーダーが目を背けたり、その場から立ち去って問題と自分を切り離してしまってはいけません。同じことが繰り返されます。

よく人間力といいますが、意識のレベルや成長度合い、円熟度合い、自分を知って向き合うこと、誰にでもある課題に一つひとつ取り組んでいくことができれば、その方はもちろん、まわりの方もステージがあがっていくと、私は考えています。リーダーが“見えない課題”に取り組み、自分への理解と解放を進めていくごとに、成長は起き、リーダーが成長すると、組織もまた成長することになります。

自分の課題を見ようとしないことは、人の課題も見えないことになります。そのままの姿の自分を認められるようになると、他者も認められるようになります。これは人間の課題だと思います。

社会に対してお伝えしたいこと

まず、「あきらめること・右習えで周りがしているから同じ行動を取ること」は、個人のためにも、社会のためにもならないと考えています。

コロナが蔓延し始めて、これまでと同じ暮らしが担保できなくなった社会情勢である際に、日本人はマスク着用がほぼ当たり前となりました。同調圧力という言葉が使われますが、「(必要性を感じるからではなく)みんなと同じことをしなければ冷ややかな目で見られるのでそれを避けるためにマスクをつける」のような、狭い国土で平和を保つ必要が根付いている社会であるがゆえのこうしたことは、良い風に作用することもあれば、自分自身で考えて、行動することの阻害になる場合もあります。

たとえばこうしたことは、周囲のこと・自分の安全を総合的に考えての行動なのか、人からどう見られるかが心配だからなのかー。

行動は同じなので、その人の内面はわかりません。人からどう見られるかを心配して行動する人は、きっと別なところでも同じように行動の基準を他者からどう見られるかに重きをおいているように思われます。

だとするならば、その方は考えていないのです。自分で考えないことは力の放棄で、エンパワメントの障害になると思っています。

本当はマスクをする必要は自分では感じていないけれど、相手がそれによって安心してくれるのならマスクぐらいしたら良いではないか、と総合的に考えてしているひとは、右習えではありません。自分の自由意思での、相手への思いやりからの行動―こうしたことが進めばいいと思い、そういう意味では日本は意外と進んでいるのではないかと思われます。

共感いただける経営者の方やリーダーの方、コーチングを学ぼうとされている方と、ともに成長の道を歩ませていただきたいと考えています。

実は“研修”がきらいです

講師の立場で「研修がきらい」とは、身もフタもありませんが、「研修」という言葉に居心地の悪さと若干の侮蔑のイメージを持ってしまいます。

組織のトップや研修実施者権威者と研修実施者が、目的(自分の儲け)のために、ある意味強制的に参加させ、「こうすべき、ああすべき」と洗脳していくイメージがあるからかもしれません。また何が正しくて、何が間違っているのかに終始してしまう研修もあります。目標を達成することが善で、達成できないことが悪になるような一面もあります。

私はそのような表面的な形を学ぶだけの“研修”が苦手なのです。また、会社にとっては好都合だけど参加者にとっての幸せにつながらない研修もNGです。

LIFE&SEEDの研修ではエンパワメントに関連する概念やフィロソフィーを用いており、内面をかなり大切に扱います。エンパワメントという概念も、目に見えない抽象的なものです。

大木も立派な幹があって、枝葉を伸ばすことができます。私たちがお伝えしたいのは、幹となる部分。エンパワメントの考え方を手に入れて、その方の意識の幹を太くするような研修を行っています。その幹があってこそ、コーチングスキルなど枝葉が活きてくるとお伝えしています。どのような人生にも間違いはなく、どの人もその時点では最善を尽くしています。そのことに敬意を払いながら、これからの時代を自分らしく生き抜く鍵をお渡しできるものと確信しております。

LIFE&SEEDの研修は、事業成果をダイレクトにあげるもの、スキルという形にはめるだけのものではなく、生きるエネルギーの扱い方を伝えること。研修というより、エンパワメントという生き方の道場に近いかもしれません。それが離職率の低減や従業員満足度や採用率の向上として表れるのです。